古来から変わらぬ市民の足 大阪市営の渡し船 

大阪
数多の川が流れ、かつて水の都と称された大阪には多くの渡船場があった。橋が整備された現在でも市内8ヶ所で150万人の足として無料で運航されている。

橋の少ない湾岸エリアの市民の足

 川を渡る手段といえば専ら橋であり、渡し船を使うなど現在の大都市ではなかなか想像できないだろう。事実、東京に現存する渡し船は柴又近くの「矢切の渡し」のみであり、それも夏季は毎日昼間のみ、冬季は土日祝と庚申の日の昼間のみ運航といった観光的側面がつよいものである。ところが大阪には現在でも8ヶ所、通勤時間帯も含めて毎日運航されている市営の渡し船が存在している。運賃は無料であり、橋の代わりに市民の足となっているのである。

なぜ橋が架けられないのか

 実は橋が架けられている場所もある。木津川上を渡る千本松渡船場の頭上には、人も渡れる千本松大橋が架けられている。しかしその高さは33メートル、工業地帯でもある木津川上を船が安全に航行できるようにこの高さとなっているが、が渡るのは苦労である。このような事情で現在も渡船が残されている。

渡船と工業地帯、都会に渡船ってホントかい

甚平渡船場

 大阪環状線弁天町駅から徒歩約20分、港区と大正区を隔てる尻無川には、約2キロ上流まで歩いて渡れる橋はない。川沿いの道路は大型トラックやミキサー車が行き交い、その上を横切る管の先には船が泊まっていることもある。

尻無川沿いの工業地帯

 甚平渡船場は日中15分間隔、ラッシュ時には10分間隔、朝には随時(到着後すぐ折り返し)とされている時間帯もあり、多くの市民に利用されていることがうかがえる。川沿いには工場や倉庫が並ぶが少し歩くと住宅地、平日昼間の時間帯でも10人程度は乗っていた便もあった。
 渡し船には自転車を持ち込むこともできる。利用者の多くは渡船場まで自転車を使っていた。
 

 渡し船に乗ってみる。出発の時間になると係の人が来て桟橋から船への案内が始まる。乗車が終わるとエンジンの音が響き渡り、ものの1分ほどで対岸へとたどり着く。乗客が降りると、対岸の乗客をのせて元の岸へと戻っていく。shipで感じる疾風からはなんとなく少し先の海を感じる。小さな非日常に胸が躍るが、これが大阪のこのあたりでは日常だと思うとおもしろくないだろうか。

船内では危ないので写真・動画撮影は禁止
おそらく船員の手袋

落合上渡船場・落合下渡船場

 木津川が隔てる大正区と西成区も同様に、川沿いには工場や倉庫が、少し内側からは住宅街が広がっている。この地域の歴史は古く、落合下渡船場に掲げられていた銘板には、「天保10年(1839年)の「大坂湊口新田細見図」にも「ワタシ」の表記が見えます。」との記述が、さらには西成区側の地名「津守」に関しては、「津守の名称は古く「万葉集」にも見えます。」と記されている。「津」は船着場の意味を持つ感じなので、古くから同じ営みがなされてきたのだと想像できる。

たしかにユリカモメの声から海を感じる
落合上渡船場から見える木津川水門
落合上渡船場から、市街地に位置し、多くの市民に使われる。

USJ・海遊館観光に使えそうな渡船も

 大阪を代表する観光地USJと、海遊館等で有名な天保山は、安治川を挟んだ対岸にある。そこにも市営の渡し船がある。USJ近くのホテルが立ち並ぶ桜島駅から渡船場までは徒歩10分程度、対岸は低いことで有名な天保山のほど近くに乗り場があり、あまり知られていないが意外に便利なのではと思える場所を結んでいる。(本数は日中30分間隔なのでお気を付けて)

 このように大阪には昔なつかしの光景が今でも当たり前にみられるスポットがある。駅から遠いところも多いが、渡船を使ってのサイクリングもいいだろう。皆さんも都会の渡し船を楽しんでみてはいかがでしょうか。

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